「背中合わせの日常」―SIDE L
部下からの無線を一通り聞き終え、シャツの第一ボタンを外しながらソファに身を沈める。
電話なんて、もうずいぶん前から停まってるこの街で、無線は唯一の通信手段。
あとは今日の報告をタイプして、明日の会議のためにスピーチの原稿をつくって…。
時計を見る。
午前3時を回ったところ。
寝るのは明け方だね…。
欠伸の最後に溜息をついて、タイプライターに手を伸ばしたとき、ちょうど仮眠室からグナが出てきた。
「まだ寝れないよ」
長い付き合いだから、顔を見ただけで言いたいことは解る。
「報告書は私が作ります」
「お前にやらせると朝までに終わらないじゃん」
奴の几帳面さを褒める皮肉だったのだが、くくっと笑った俺の態度が不満だったのか、グナは眉間に皺を寄せた。
「もうお休みになって下さい」
諭すような柔らかい物言いとは対照的に表情は険しい。
こいつ怒らせると手に負えないからなぁ。
「はいはい…。んじゃ、明日…いや、今日の会議用に原稿つくっといて。3時間寝たら報告書書くから」
うーんと背筋を伸ばし、首を回して立ち上がる。
「はい。お休みなさい、リシ様」
素直に従った俺に満足そうな笑顔を向け、グナはしっかり頭を下げた。
「おやすみ」
「リシ様」
本部のドアを開けた途端、焦りの滲んだ声に呼ばれる。
「港か」
「はい。たった今連絡が入りました。やはり物資に爆発物が仕込まれていたようです」
自分の席に座って、状況が走り書きされたメモに目を通す。
当然、席は上座のど真ん中。
「こっちにケガ人は無し?」
「はい。取引き前に裏が取れなかったので、充分警戒するようグナ様に言われてましたので」
斜め後ろに立つグナに視線を送る。
「すみません。事前に確証を得られなかったのは私の責任です」
言うと思った。
口の端だけで笑って、メモに目を戻す。
「ただ、民間人に軽傷者が2名出まして、その1人がゴシップ記者の知り合いだとかで…。手を回しますか?」
言いにくそうにしながらも、教育通りはっきり告げた部下に笑って見せる。
「いや。放って置いていい。明日の朝刊が楽しみだね」
どれだけ極悪非道で不気味なテロリスト集団か、誇張して尾ひれをつけて報道してくれた方が、こっちも手間が省ける。
思わぬ返答に部下は怪訝な表情をしたが、俺は笑顔のまま頷いた。
「そっちはいいから、物資の取引き先に警告を」
「はい」
部下を下がらせ、前を向いたままグナに問う。
「今回の取引相手は‘東’だったよね?」
「はい。一部の過激派による勝手な行動と、政府の関与は否定するでしょうが」
だよねぇ。
名目上とは言え、一応この街は東の国に属してるんだけど…。
「まったく、酷いことやってくれるよね。自国から攻撃されるなんて、そっちの方がよっぽどスキャンダルだよ」
いくら「見捨てられた」ってのが周知の事実でも、実際に自国から最後通牒ならぬ爆発物が送られてきたなんて知れたら、
ショックどころの話じゃない。
興奮して独立運動なんて始められたら、こっちとしても面倒だ。
まぁ、気持ちはわかるけどね。
迂闊に近付くには敵地に近過ぎで、放って置くにはでか過ぎる街。
「はぁ〜あ」
茶化すような溜息を吐く。
「まぁジタバタしても仕方ないし、目の前にあるものから片付けますか。次の予定は?」
時計を横目に尋ねると、グナは一瞬、間を置いた。
それだけでピンとくる。
「あの人か…」
グナの沈黙が返事代わりだ。
「すっかり忘れてたよ。今日は婚約一ヶ月記念だ」
自分で言っておきながら、婚約なんて響きがおかしくて、喉で笑った。
慌しく階段を駆け上がってくる部下の足音が聞こえ、俺は立ち上がった。
自分より十も年下の少女と向かい合うのに、過剰なほど穏和な顔をする自分に苦笑する。
「リシ様は普段お車で移動されるのですよね。馬車はお嫌いですか?」
「そんなことありませんよ。素敵な馬車に乗せて頂いて光栄です」
話しかける声は恭しく、柔らかい。
俺って案外フェミニストだったのかも。
「私は馬が街路を歩く蹄の音が好きで、いつも馬車に乗るんです。車の音は苦手ですわ」
そんな子供っぽいことを言いながら、ヴェールの向こうの碧眼はガラス玉のように冷めている。
今年で12歳になるって…?
権力ってのは怖ろしいね。
「レディ・ユセル」
呼びかけに応じて窓の外を見ていた瞳が俺の目と合う。
可愛らしく首を傾げて、
「リシ様、私の名前をお忘れですか?」
暗にファーストネームを呼ぶように言われ、苦笑。
「申し訳ありません、ミス・ミシェル」
微笑む顔は稚いが、それも彼女が故意につくった表情だと、俺は知ってる。
ミシェル・ド・メディシス。
この辺りでは有名な旧家であるメディシス家の暫定当主だ。
大きな家だったが、度重なる戦争で先々代の頃から家は傾き始め、今では名ばかりと言っても過言じゃない。
その家を背負うこの幼い少女は、なんとびっくり俺の婚約者。
簡単に言えば利害の一致。
独裁の後ろ盾に貴族の血があると便利な俺と。
新政府で地位を得て家を復興したいミシェルと。
俺たちは共犯者な訳だ。
「リシ様、以前お話した、来週のパーティには来て頂けますか?」
「貴女の辺境伯承継記念パーティでしたよね。はい、是非」
他愛無い会話を交わしながら、2人とも壁一枚を隔てて聞き耳をたてているであろう御者を意識する。
ミシェルは車が嫌いだなどと言ってみせたが、
本当は自分に付きまとうお目付け役が従者になるか御者になるかを選んだにすぎない。
第3者の前での振舞いは、お互い慣れたものだ。
ミシェルの屋敷に着くまでの時間、俺たちは話の内容と口調に多少気を使いながら、
無邪気さを振りまく彼女に合わせ、幼稚とも言えるやり取りをするのだった。