「触れる前の交差点」―SIDE K

 

お昼を少し過ぎた頃。

僕はお茶とお菓子につられて、パン屋のおばさんと世間話をしてた。

「そろそろ時間だわね」

おばさんは意味深に言って僕にウインク。

なんだろうと思ってる間に肉屋のおばさんや、牛乳屋のお姉さんや、手芸屋のおばあさんまで集まって、

パン屋さんの小さなオープンテラスは女の人でいっぱいになった。

「これから何かあるんですか?」

僕が聞くと、

「そう。井戸端会議ってのがね」

と羊飼いのおばさんが教えてくれた。

「カルマくんもゆっくりしていくといいわ」

僕は頷いて、飲みかけの紅茶を一口すすった。

 

 

「だから旦那に言ってやったのよ。文句は自分の娘に口利いてもらえるようになってからにしな!ってね」

盛大な笑い声の渦中で、僕は身を小さくしていた。

シナはこういうお喋りとかってしないから、いつも世間話は僕が喋る一方だ。

…お説教の時は反対だけど。

だから女の人の噂話とかお喋りとかが、こんなに凄いなんて知らなかった。

そろそろ帰らないとシナが怖いんだけどなぁ…。

「そういえば、聞いた?港で貨物が爆発したって」

急に場の空気が変わった。

「聞いたよ。また、あのイカレた革命組織絡みだろ?」

誰よりも街に敏感なのは街で生きてるこの人たちなんだ。

治安の変化、物価の変動、誰の家に子供が生まれたか、誰が街を出て行ったか。

こうやってみんなで集まって話してるんだ。

「その革命組織って、『ジャバウォッキー』のことですか?」

「そうそう、あのふざけた名前のおかしな団体だよ!

この前シュセライン家のご子息フランツ様が殺されたのも、絶対あいつらさ!まだ11歳だった子供を…」

僕も知ってる。

『ジャバウォッキー』は目的のためには手段を選ばないって豪語する、自称革命組織だ。

事実上、政府の統治下にないこの街で、暴力とお金を使って、政府に成り代わろうとしている。

大きな事件の陰には必ず、『ジャバウォッキー』がいるのだ。

地位のある人が、たくさん奴らに殺された。

「邪魔」になる「危険因子」だから。

僕はどんな理由であれ、躊躇いもなく暴力を振るい、人の命を奪う存在は、大嫌いだ。

 

 

「カルマくん、うちの人とアンナが、そろそろ酒瓶買って帰って来る頃なんだけど、

 アンナの子守り、お願いしてもいい?」

ウインクされて、頷く。

アンナというのは、おばさんの娘さんだ。

今年で5つ、だったと思う。

とても賢い子で、子守りと言っても、僕の方がいろんなことを教えられてる。

虹のでき方とか、雨が降る理由とか。

「迎えに行って来ます」

僕が立ち上がると、おばさんは悪戯っぽく言った。

「アンナがあと10年早く生まれてればねぇ…カルマくんに貰ってほしかったよ」

「あら、それなら私があと10若ければ」

「あんたじゃカルマくんが可哀想だって」

また話に華が咲き出したテラスを僕は逃げるように立ち去った。

 

 

 

眩しい夕日に目を細めながら、僕はシナに謝る言葉を考えていた。

「ガキがガキの面倒見れるわけないでしょ」

不意に、アンナの話をしたとき、シナに言われたことを思い出した。

シナはいろんなことに否定的で、変化を嫌う保守派だ。

それは、今ある安定を失いたくないからだって知ってる。

最初から諦めるのは、期待して裏切られるのが怖いから。

刻示さんのことだって、ホントは…。

 

ドゥン

 

地面が震えた。

一斉に鳥が飛び立つ。

バタバタと、家のドアや窓が閉まった。

重い重いその音は、はっきりと、僕の脳裏にモノを連想させた。

銃。

「アンナ!」

考える前に叫んだ。

胸騒ぎなんて軽いものじゃない。

祈るように叫んだ。

躓きながら、走る。

また、音がした。

また。

死神が鎌を振るう音は、こんなにも重く、暗鬱としているのだろうか。

「アンナ…」

泣くのが先だったか、血まみれの幼い体を見るのが先だったか、わからない。

「アンナ」

震える手で首筋に触れる。

「手遅れだよ。即死だったから」

血を見たからなのか、僕が望んだからなのか、僕はもう一人の自分に意識を飛ばした。

咆哮。

狂気。

殺意。

赤赤赤。

いつもよりずっと冷静に、暴走する自分を中から見ていた。

止めようとは、思わなかった。

男はまだ硝煙の上る銃を僕の肩に向け、引き金を引く。

重圧はあったけど、痛くはなかった。

他の男たちも銃を抜き、僕に突きつける。

僕は…僕は、銃口を見て、憎悪とか、ぜんぶ忘れて、わくわくした。

いつもみたいに記憶が飛ばないからこそ、その痺れるような狂気が、快感が、よくわかった。

銃弾を避け、割れて転がっている酒瓶を投げつける。

怯んだ奴らに飛び掛り、鋭いガラスを首に突き立てた。

幾度も幾度も。

…殺してあげるからさ、殺してよ。

比喩なんかじゃなく、視界が赤くなる。

動かなくなった体を盾にして、同じ動作を繰り返した。

気持ちいい…。

何人かに致命傷を与えたところで、何かが横から迫る気配に後ろへ跳躍した。

車、だった。

「リシ様!乗ってください!」

呼ばれて、乗り込んだのは…アンナを撃った男。

はっとする。

なにを、忘れてるんだ。

目的は、こいつ。

追いかけた僕を振り返り、そいつはトリガーを絞った。

腹と、足。

避けたつもりだったのに、足首を弾がかすめた。

一瞬、動きが止まる。

走り去る車を見ながら、僕は咆えた。

愚かで無力な自分への癇癪と、不条理な此の世すべてに対する慷慨を。

 

 

 

 「背中合わせの日常」  TEXT  「彼女の高潔