「接触」―SIDE K
「ぶっさいく」
シナの第一声はそれだった。
なんだか安心して、さらに涙が出てくる。
そんな僕に、シナはカウンター下から出したタオルを放って、無言で洗面台の方を指差した。
「あり、がと」
声は嗄れていて喉が痛かったけど、なんとかそれだけ言って、僕は店の奥に入った。
鏡を見て笑う。
シナの言う通り、僕は酷い顔だった。
ばしゃばしゃと顔を洗っても、大して良くならない。
タオルで顔を拭いながら、どうしようかと悩んでいると、バタンとドアが開いてシナが入ってきた。
「シナ…」
「ついでにシャワー浴びてきなさい」
有無を言わせぬ口調に頷く。
「…吐気は」
「だいじょぶ…」
人を殺して吐気がしないなんて、初めてだった。
殺してるときに意識がとばないのも、初めてだった。
いろいろ思い出してうな垂れた僕の首根っこを掴んで、引きずるようにしてシナはバスルームに僕を放り込んだ。
「5分で出てきなさい、いいわね」
返事を待たずにドアを閉める。
相変わらずなシナにちょっと笑って、僕はシャワーノズルを取った。
言われた通り5分でシャワーを終えたあと、シナに追い立てられるようにして眠りについた。
「よう、ガキんちょ。やっと起きたか」
昏々と眠り続け、ようやく目を覚ました僕を待っていたのは、にやにや笑う刻示さんだった。
「刻示さん…」
「2日近く寝てたってのに酷ぇツラだな」
なにが面白いのか、ククっと笑う。
「で?今回は何人ヤったんだ?将来有望だな」
僕は無言だ。
「あ?傷心に塩だったか?」
「…覚えてない。4、5人くらい」
意識はあったけど興奮してて、殺した人の数を正確には思い出せなかった。
罪悪感はあるけど、間違ったことをしたとは思ってない。
また同じことが起きたら、同じことをすると思う。
でも、なんだか気持ちはぐちゃぐちゃだった。
あの後のおばさんの姿を思い出すと、また入れ替わるんじゃないかってくらい体が熱くなるけど、
初めて、人を殺してるときの自分を正視して、ザァって音が聞こえるくらい血の気が引いた。
あんな風に、僕は人を殺すんだ。
やっぱり僕は、人間じゃない…。
「なんだぁ?せっかく久しぶりに会ったってのに、しけたツラすんなよ。オレンジジュース飲むか?」
甘口のキールのことをそう表現したんだろうって思ったのに、出された飲み物は本物のオレンジジュースだった。
「ガキがアルコールなんて早ぇんだよ」
喉が渇いていたので有り難くオレンジジュースを飲む僕を見て、ジンを呷りながら刻示さんは言う。
「まぁでも、こいつがイケルようになったらうちに勧誘してもいいな」
「刻示」
間髪入れず、咎めるように名前を呼んだのはシナだった。
「許可無くうちのペットに手出すんじゃないわよ」
店先のライトを消してきたらしいシナは、僕の隣のスツールに座った。
刻示さんは軽く肩をすくめて、「ルク」とシナを呼んだ。
シナは本当はシナルクという名前なんだけど、それを知ってる人は少ない。
僕も刻示さんから教えてもらった。
それぐらい、刻示さんとシナは親密なのに、いつもシナは刻示さんより僕を優先させる。
2人の間に挟まれて、居心地の悪さを感じる僕を、刻示さんが見下ろす。
「なぁ、カルマ。俺は結構マジだぜ。いい加減ルクを、俺の目の届く範囲に置いときてぇ。
こいつはここを離れる気はねぇみてぇだが、そうも言ってられねぇ事情ができた。
できればお前にもルクにも、好意的に引越しをしてもらいてぇと思ってる」
「刻示」
シナの声は怒りをはらんでた。
それでも刻示さんは止まらない。
「お前が動いてくれりゃあこいつも動く。この街を離れる気はねぇか?」
「カルマ、耳貸すんじゃないわよ」
…両側からの視線が痛い。
僕はシナを家族みたいに思ってるから、できればシナに従いたいけど、
もしかしたら刻示さんと一緒にいる方がシナの幸せに繋がるんじゃないかっても思う。
シナだって、刻示さんのことが好きなんだ。それは確実。
僕が足枷になっちゃいけない。
「お前がこっちに来るなら、うちの組織で面倒を見てやる。血に狂うその難病だって、なんとかできるかもしれねぇ」
「っ!」
とうとうシナは立ち上がって刻示さんを睨んだ。
でも僕は刻示さんの言葉に飛びついた。
「本当!?」
「最近知り合った医者で、そういった精神病の権威みたいなのがいる。お前の話をしたら診てみたいってよ」
それは、会ってみたいかも…。
「どうせモルモットにされて飼い殺しよ」
僕の希望を一刀両断するように、シナが吐き捨てる。
「どういうつもりよ…」
押し殺した声で刻示さんに詰め寄ると、僕と刻示さんの間に入ってカウンターをドンッと叩いた。
「将を射んとせば先ず馬をってな」
刻示さんは不敵に笑う。
刻示さんは、怖い人だ。
僕にとても良くしてくれるけど、それは上辺だけで、シナのペットだからってだけで、
邪魔になったらなんの躊躇もなく殺せる人だ。
そういう世界で生きてる人だから。
シナはそれを知ってるから、僕を守ろうとしてくれてるんだけど…。
「シナ、別に僕、モルモットでもいいよ」
おずおずと言うと、
「あんたは黙ってなさい」
ぴしゃりと切り捨てられた。
重い沈黙が流れた直後、
「すいませーん」
場違いに明るい声が、店の前で響いた。