プリムラの王子様
あるところに、それは見目麗しく聡明で穏健な王子様がいました。
その麗姿は悪魔が嫉妬し、妖精も恋すると謳われるほどだったので、
その国にしか咲かない、プリムラという優美な花になぞらえて、プリムラの君と呼ばれていました。
王様と王妃様はプリムラの君を大変誇らしく思っていましたが、
ひとつ、大きな悩みがありました。
「母上、私は見合いなどしません」
今日も王子の声が城内に響きます。
「そう言わないで。たくさんの方が、わざわざこちらに赴いてまで、貴方に会いたいと仰って下さっているのですよ」
王妃様の宥める声がその後を追い、
「何度言えば解って下さるのですか。私は、『運命の人』を信じているのです」
何十回目となる王子のいつもの言葉に、使用人たちは苦笑しました。
そう、王様と王妃様の悩みは、王子があまりに夢見がちなこと。
他国の姫がいくら求婚を申し出ても、会おうとすらしないのです。
「笑われても構わない。私は信じているのです、どこかに運命の人がいると」
そう言って、歯牙にもかけず身を翻す王子に、王様は頭を抱えていました。
焦る必要は無いとは言っても、こうも頑なに結婚を拒まれると、心配になってくるのが親心。
「ひとまずは会うだけでいいんだ。なぁ、会ってみてはどうだ?」
王様が公務を置いて王子の説得にかかる姿も、珍しいものではなくなっていました。
「このままでは、『運命の人』にも、会えぬままかもしれんではないか」
同意を求めるように王妃様を見ると、王妃様も深く深く頷きました。
王子はちらりと、二人を振り返りました。
「解るだろう?お前ももう子供じゃないんだ」
哀願するような父親の声に、端整な横顔で溜息をひとつ。
「…わかりました。ただし、条件があります」
次の日、国内は大変な騒ぎでした。
原因は今朝早くに出された御触れ。
『王子の妃を選ぶ』
「プリムラの君がとうとう結婚相手を探すってよ!」
「あの夢見る王子様が?」
国中が大騒ぎ。
『年齢、身分は問わない』
「うちの娘でもいいわけだ!」
「冗談言うなよ!」
とにかく目出度いと、まだ結婚も決まってないのにお祭り騒ぎ。
『ただし…
城の裏手にある森の中のプリムラの泉に、自分の所有物の中で最も価値があると思うものを投げ入れ、
泉に住むプリムラの女神に認められた者だけ、王子への目通りを許可するものとする』
御触れの話はその日の内に、周辺諸国まで広まりました。
次の日。
ガタゴトと、煌びやかな馬車に揺られてやって来たのは、この辺りで最も裕福な大国の姫様。
「プリムラの君を射止めるのは私よ。最高の夫だわ」
歩く宝石と称えられる美しい容姿を本物の宝石で惜しみなく飾りたて、向かうはプリムラの泉。
「遥々お越し下さり、王子に代わりましてお礼を申し上げます」
泉の番人は泉の手前で馬車を止め、頭を下げました。
「王子様に伝えて頂ける?明日にはお目にかかりますわ、と」
自信に溢れた口調で姫は言い、馬車を進めようとしましたが、番人がそれを遮りました。
「申し訳ありませんが、これから先は姫様お一人でお願い致します。誰の力も借りてはならない決まりとなっています」
姫は微かに不愉快な表情をしましたが、すぐに笑顔に戻り、承諾しました。
「プリムラの君がお望みならば」
心配そうに視線をさ迷わせる付き人を馬車に残し、姫は重そうに小さな小箱を抱えて、一人で泉へと歩き始めました。
「あらあら、なんて綺麗な方かしら。泉に御用?」
木漏れ日の差す静かな森を歩く姫に、泉の手前で声をかけたのは、
「あら、どうも。妖精を見るのは久しぶりだわ」
小さな妖精でした。
「初めまして、プリムラの精です。貴女のように美しい女性を見るのは初めて」
プリムラの精ははにかむように笑いました。
姫も満更ではなさそうに微笑むと、ここに来た理由を話しました。
プリムラの精は話を聞き終わると、花の蜜でつくった紅茶を差し出し、少し休憩するよう勧めました。
「そうね。別に急いでもいないし」
姫は切り株に腰掛け、紅茶を口にしました。
「それで、貴女は何を持ってきたの?」
プリムラの精は姫の持つ小箱を眺めて問いました。
姫は箱を開け、見せびらかすように中身を取り出しました。
それは、両手で抱えるほど大きな宝石でした。
プリムラの精は感嘆の声をあげ、まじまじと宝石を見て、
「これなら女神様が気に入らないはず無いわ!」
絶賛して姫を見送りました。
ぼちゃん。
重たい音がして、宝石は泉の底へと呑み込まれていきました。
「プリムラの女神様、きっとお気に召しますわ」
姫は呟いて、暫く待ちましたが、女神は現れません。
焦れた姫は泉の傍らに座り込み、水面を触りましたが、泉はさざ波をつくるだけ。
「…気に入らないってわけ?」
綺麗な顔を屈辱に歪めて、姫は身に着けていた高価な装飾品を次々と泉に投げ込みました。
泉はすべてを呑み込み、また静かになりました。
夜を待つことなく、姫は帰っていきました。
次の日。
ガタゴトと、強固な馬車に揺られてやって来たのは、この辺りで軍事大国と名高い国の姫様。
「自国の利益となるならば、私的感情で政略結婚を厭うなどと愚かなことはしない」
戦場に舞う麗人と称えられる高潔な顔立ちに愛刀を提げ、向かうはプリムラの泉。
「遥々お越し下さり、王子に代わりましてお礼を申し上げます」
泉の番人は泉の手前で馬車を止め、頭を下げました。
「茶番はすぐに終わると、王子に言伝を」
鋭い瞳で姫は言い、馬車を進めようとしましたが、番人がそれを遮りました。
「申し訳ありませんが、これから先は姫様お一人でお願い致します。誰の力も借りてはならない決まりとなっています」
姫は微かに怪訝な表情をしましたが、目を伏せ溜息を零し、承諾しました。
「それが規則ならば」
訝しげに森を見据える付き人を馬車に残し、姫は小さな小箱を片手に、一人で泉へと歩き始めました。
「あらあら、なんて素敵な方かしら。泉に御用?」
木漏れ日の差す静かな森を歩く姫に、泉の手前で声をかけたのは、
「妖精…。そうか、この国は自然が豊かだからな」
小さな妖精でした。
「初めまして、プリムラの精です。貴女のように雅やかな女性を見るのは初めて」
プリムラの精ははにかむように笑いました。
姫も気を緩めたように微笑むと、ここに来た理由を話しました。
プリムラの精は話を聞き終わると、花の蜜でつくった紅茶を差し出し、少し休憩するよう勧めました。
「まぁ…急ぎの用でもない」
姫は切り株に腰掛け、紅茶を口にしました。
「それで、貴女は何を持ってきたの?」
プリムラの精は姫の持つ小箱を眺めて問いました。
姫は箱を開け、慎重に中身を取り出しました。
それは、姫自身が発明した最新式の銀製の銃でした。
プリムラの精は感嘆の声をあげ、まじまじと銃を見て、
「これなら女神様が気に入らないはず無いわ!」
絶賛して姫を見送りました。
どぼっ。
硬い音がして、銃は泉の底へと呑み込まれていきました。
「プリムラの女神よ、これ以上に価値のあるものを、私は知らない」
姫は呟いて、暫く待ちましたが、女神は現れません。
焦れた姫は泉の傍らに座り込み、水面を触りましたが、泉はさざ波をつくるだけ。
「…気に入らないと?」
美麗な顔を屈辱に歪めて、姫は腰に提げていた愛刀を泉に突き立てました。
泉はそれをも呑み込み、また静かになりました。
夜を待つことなく、姫は帰っていきました。
次の日。
ガタゴトと、簡素な馬車に揺られてやって来たのは、この辺りで最も自然豊かで広大な国の姫様。
「一目惚れ、なんです…いつも憂いているあの人を、笑顔にしてあげられたらいいのに」
言葉を話す白百合と称えられる清楚な相貌を赤らめ、向かうはプリムラの泉。
「遥々お越し下さり、王子に代わりましてお礼を申し上げます」
泉の番人は泉の手前で馬車を止め、頭を下げました。
「あの、お会いできるのを、楽しみにしておりますと、王子様にお伝え下さい」
頬を染めて姫は言い、馬車を進めようとしましたが、番人がそれを遮りました。
「申し訳ありませんが、これから先は姫様お一人でお願い致します。誰の力も借りてはならない決まりとなっています」
姫は微かに当惑の表情をしましたが、慌てて深く頷き、承諾しました。
「わかりました」
不安そうに姫を仰ぐ付き人を馬車に残し、姫は小さな小箱を抱き込み、一人で泉へと歩き始めました。
「あらあら、なんて可憐な方かしら。泉に御用?」
木漏れ日の差す静かな森を歩く姫に、泉の手前で声をかけたのは、
「妖精!この国にもいるのね、嬉しい!」
小さな妖精でした。
「初めまして、プリムラの精です。貴女のように可愛らしい女性を見るのは初めて」
プリムラの精ははにかむように笑いました。
姫も嬉しそうに微笑むと、ここに来た理由を話しました。
プリムラの精は話を聞き終わると、花の蜜でつくった紅茶を差し出し、少し休憩するよう勧めました。
「急いではいないから、喜んでお言葉に甘えるわ」
姫は切り株に腰掛け、紅茶を口にしました。
「それで、貴女は何を持ってきたの?」
プリムラの精は姫の持つ小箱を眺めて問いました。
姫は箱を開け、愛おしそうに中身を取り出しました。
それは、上等な繊維が取れ香辛料にも染料にもなる貴重な植物の種でした。
プリムラの精は感嘆の声をあげ、まじまじと種を見て、
「これなら女神様が気に入らないはず無いわ!」
絶賛して姫を見送りました。
ぱしゃぱしゃ。
軽やかな音がして、種は泉の底へと呑み込まれていきました。
「プリムラの女神様、これが私の持つものの中で、最も価値があるものです」
姫は呟いて、暫く待ちましたが、女神は現れません。
焦れた姫は泉の傍らに座り込み、水面を触りましたが、泉はさざ波をつくるだけ。
「…お気に、召しませんか?」
端麗な顔を屈辱に歪めて、姫は泉の底を覗き込みました。
泉は見苦しく歪んだその表情すら呑み込み、また静かになりました。
夜を待つことなく、姫は帰っていきました。
夜も更け、月がひっそり穏やかに微笑する空の下。
「王子様!」
プリムラの精は現れたプリムラの君に気付き、目を輝かせました。
「こんばんは」
王子は優雅に頬を綻ばせました。
プリムラの精はじゃれつくように王子の周りを飛び回ながら、ゆっくりと女神の姿に戻ると、その肩に添いました。
「今日はね、珍しい種をくれたわ」
指差したのは、プリムラの葉の上に積まれた種。
「ありがとう」
王子は真っ直ぐプリムラの女神に、魅惑的な笑みを向けました。
くらくらと真っ赤な顔でへたり込んだプリムラの女神を置いて、王子は種を懐に仕舞い、颯爽と立ち去りました。
「皆、可哀想なくらい愚かだね」
王子は自室でベッドに身を沈め、専門書を片手に種の成分を分析していました。
この麗しい王子にとって、結婚など、まして運命の人など、まったく興味の無いことでした。
王子の悩みはひとつ。
己の秀麗とプリムラの花以外、なんの取り柄も無いこの国を、如何にして発展させるか。
王と王妃はあまりに温厚で、国を治めるには不向きなお人好しだと、王子は蔑みに近い念を抱いていました。
「ホント、困っちゃうよね、あの人たちには」
今の王政でできた負債を処理するのは、十年後の自分であると、王子は確信していました。
嘆息して寝返りを打った目に映ったのは、三つの品。
宝石は国費となる。
銃は軍事力を飛躍的に向上させる。
種は国民に潤いと安定をもたらす。
王子は凄艶に冷笑しました。
その誰をも虜にする顔すら、王子にはあまり興味の無いことでした。