未無題 −4日目午後− 

「キャラメルの甘さは涙を誘発する」

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カリンの笑みに、コーヒーを飲み干して応えた。

店内の時計を見上げ、

「このあと俺は図書館に戻れるのか?」

と聞いてみる。

「ヨシハルくん次第ね。善処はするわ」

視線を逸らして不自然ではない澄まし顔で答えられ、諦めを通り越して感心した。

キョウの動作を見ていると動きに淀みや無駄が無い役者のようだが、カリンは鏡で自分を見ているように

無駄な動きまで計算しつくして振舞う役者だ。

女が化けるのは化粧だけじゃないんだな、と感心した。

上品な色の口紅をつけた唇が下品に笑み、また上品に閉じられるトリックは、目の前で見ても種が分から

ない。


***


俺が図書館に行ったのはほとんど暇つぶしのためだった。

記憶を取り戻すきっかけが何か掴めるかもしれないなどという考えはなかった。

名目上はそう言ってキョウに案内してもらったが、あいつもそんな建前信じてないだろう。

「17時に迎えに来る。場所を変えるなら連絡してくれ」

携帯を俺に渡し、キョウは車でどこかへ行った。

広い館内をぶらぶらしていた俺は、本を手に取る暇も無くカリンに捕まった。

そして現在、お茶とやらに付き合わされている。


「今朝の話、ヨーヘーから聞いたの」

キャラメル入りのコーヒーを一口飲んで、カリンは切り出した。

「付き合ってないって、キョウに言ったんでしょ?どうなったの?」

「別にどうも。薄々気づいてたが、あいつとは意思の疎通ができそうにないことが分かった」

カリンは乗り出していた体をソファの背もたれに預け、うーんと唸った。

「ヨシハルくんさぁ、キョウの何が不満なの?」

こいつも何を考えているのか分からない。

ユキは女性不信で同性愛者になったんじゃないかとさえ思えてくる。


「キョウは綺麗でかっこよくて、頭も良いし家事も完璧で、性格も優しくて可愛くて恋人思いで、言うこと無

いじゃない」

いちいちまともに返事をするのも面倒な会話だ。

そんな理由で付き合えるか。

だいたいキョウと会って四日しかたっていないのに、不満も満足も無いだろ。


「だったらお前が付き合えばいいだろ」

「キョウのこと嫌い?」

「好きでも嫌いでもない。世話になって感謝はしてる」

どんっとカリンがソファをたたいた。

ほとんど布に吸収されて大した音じゃなかったが、カリンの憤りは伝わった。

キョウ相手なら無視して席を立ったところだ。

「なんでそこまで拘るんだ。俺とキョウが付き合って、お前に何の得がある」


「自分には関係無いって顔よね」

梅酒を呷っていた夜がフラッシュバックした。

声は静かだがそうとう頭にきてる。

また泣き出したら、俺にはヨウヘイに連絡して置いていくという選択肢しかない。


「ヨシハルくんはずるい。ヨシハルくんはユキじゃない。ユキじゃないのに」

カリンは涙声だったが、俺はなんだかほっとした。

俺はユキじゃない。

それなのに、いなくなったユキと同じ位置に平然と据えられていることに違和感があった。

立場は違うが、カリンの感じてることは俺も思っていることだ。


「ユキは、ユキは」

「好きだったんだな」

ユキとキョウが。

「過去形じゃないわ。今も好きよ」

あいつにはユキもヨシハルも関係無い。

でもカリンには全然違う。当たり前だ。これが普通の反応だ。

友人が一人、消えたのだから。


「カリン、お前の話は前置きが長すぎる」

しかも泣かないと本音が言えないってのは不便だろ。

「そんな、単純な、気持ちじゃないのよ。ヨシハルくんも、好きだもの」

まだ、完全に、言いたいこと、言えてない。

言葉を区切って声の震えを抑えながらカリンは呟いた。

「続きはまた今度な。ヨウヘイに迎えに来てもらえ」

カリンは素直に頷いた。


***


ヨウヘイはキョウの車で現れた。

「なんか、何度も電話したってよ?」

マナーモードにしていた携帯にはキョウからの着信履歴が並んでいた。

留守禄には

「今夜はヨウヘイのところに泊めてもらってくれ。急用で帰れなくなった。すまない」

というキョウの声が入っていた。


「カリン送ってからまた来るからな」

と笑顔で言うヨウヘイに首を振る。

どうせ暇つぶしだったのだ。

そんな手間をかけさせる必要は無い。

「いや、俺もこのまま行く」

いいのか?と確認を取るヨウヘイに頷き、車に乗った。


鍵を預ければ済む話だ。

それをわざわざヨウヘイのところへ行かせるのは、家に他人一人を置くことに対する抵抗か、もしくは俺に

監視が必要なのか。

普通なら前者だが、キョウの場合は後者な気がする。

図書館に来たカリンもタイミングが速すぎた。

話の内容は本音だろうが、本来は俺の目付け役として現れたんじゃないだろうか。


逃げ出すどころか帰ることもできない俺に監視は不要な気がするが。

考えれば分からないことだらけだ。

だがまったく危機感を感じない。

ヨウヘイの部屋が片付いていることを祈りながら、俺は思考を中断した。





「寝ている間に降り出す雨は虹を産まない」