未無題 −2日目から3日目− 

「箱入り娘に絡まれる」

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冷蔵庫に手を付けたらバレるとの警告で、俺たちはファミレスで夕食を取り、ご近所さんも寝静まった夜更

けにカリンの家へ入った。

歯ブラシやらタオルやらを借り、最後に風呂を借りて居間に戻ると、先に風呂を済ませていた二人は酒盛

りを始めていた。


「お、来た来た。本日のメイン〜」

「私たちはユキしか知らないからね。今夜はヨシハルくんのことをいろいろ聞きたいと思って」

カリンが缶酎ハイをひらひらと振ってみせる。

「あなたもユキのことは気になるでしょ?」

「今夜は寝かさないぜー」

冷蔵庫はマズくて酒はいいのか。


雑に髪を拭きながら、二人の間に座る。

「明日、学校はいいのか」

「私は午後からだから」

「俺はサボるからヘーキヘーキ」


俺は並べられているアルコールの中からビールの缶を選び取り、一口呷った。

苦味をいつもより強く感じて、銘柄を見直す。

手に取ったときも見た通り、よく飲んでいるものだ。

ピリピリする舌を不思議に思っていると、カリンが隣でクスクス笑い出した。

「違和感ある?ユキはお酒飲まなかったからね。ちょっとびっくり」

「ヨシハルは酒イケんのか。同じ体なのになー」

ヨウヘイが首だけでなく体全体を傾ける。


ということは半年以上飲んでいないことになる。

久々の飲酒に体のほうが反応したのか。


「ユキはシャンパン一口で真っ赤になってたのに…人体の神秘ね」

「ならユキのために酒以外も用意しておいてやれよ」

二人は何がおかしいのか爆笑し、持っていた缶をそれぞれ飲み干した。


「なんか、パッと見全然ユキと変わんないと思ったのに、やっぱ違うね」

そりゃそうだろ。外側は同じだ。

内側に関しては違わない方が困る。

あのヒトデのセンスを理解できるとも、したいとも思わない。


「そうかぁ〜?そんなユキと変わんなくね?」

「ヨーヘーから見ればね」

カリンは梅酒の缶を開けながら笑った。

「なんてゆーか、ユキはもっと大人しい感じだったよ」

俺だってよく喋る方でもないが、この二人に比べれば誰だって大人しいだろ。


「ヨシハルだって大人しいじゃん」

「そうじゃなくて、内向的?違うな…んー、ユキはもっと、柔らかくなかった?雰囲気とか」

「雰囲気〜?」

ヨウヘイが二本目を空ける。

度数の高い日本酒のカップにしてはペースが速い。

奴の様子からしても、長居はしない方が良さそうだ。


「例えるならぁ、ユキは可愛いって感じだったけど、ヨシハルくんはどっちかって言うと、カッコいいって感じ

じゃない?」

可愛いなんて冗談でも言われたことがない。

後者だって軽口程度だ。


「あ、ほら、顔顰めてるー」

俺の顔を指差してケラケラ笑うカリンの前に、空になったビール缶を置いて立ち上がる。

「俺はもう寝る。あんまりハメ外すなよ」

踏み出す前に、酔っ払いとは思えない素早い動きで、両側から足を掴まれた。


「メインが最初に退場できると思ってるのか〜」

「まだまだ何にも聞いてないじゃない!」

鬱陶しい。

こんなのに付き合うなんて絶対に御免だ。

ヨウヘイの頭を強めにはたいて、足を抜き取る。

「お前らだけでやってろ。俺は寝る」

じろりとカリンを見下ろすと、カリンはパッと俺から離れ、

「分かったわよ。ちょっとだけ待って。ヨーヘーに布団の用意させるから」

酔いを感じさせない口調で言った。

よろしくね、とヨウヘイを客間に送り、俺に座るよう促す。

はい、と梅酒を渡された。

仕方なく腰を下ろして缶を開ける。


「ヨシハルくんはさぁ…」

そこで一度言葉を切り、カリンは持っていた梅酒を舐めるように少しだけ飲んだ。

「キョウのこと、どう思う?」


何を言うかと思ったら。

会って半日でどうもこうも無いだろ。

はっきり言葉にできる考察は、嘘くさい、だけだ。

「さぁな。変わり者だとしか、」

言えない。


「でも綺麗でカッコいいでしょ?」

カリンは妙な笑い方をした。

缶を呷る動作がそれを拭い去ったが、残像は消えない。


「外見で人は判断できない」

髪で顔は見えなかったが、笑うような息遣いがした。

「でも多少意識してるから、帰り辛いんでしょ?」


分かった。

この笑い方は、女特有の笑い方だ。

女たちが色恋を話すときの、粘着質で、まるで自分は何でも知っているんだと言わんばかりに振舞うとき

の笑みだ。


「単なる常識的判断だ。相手が誰だろうと、女なら同じことをした」

「キョウはそんな常識気にしないわ。それくらいのことは、半日で分かったんじゃない?」


これがこいつの本題か。

何が言いたい。

チビチビ飲んでいた梅酒を一気に飲み干して、カリンを見据える。

カリンも俺と目を合わせたまま、缶を傾けた。


「俺の感性の問題だ」

ヨウヘイの消えたドアに目を向ける。

「ヨーヘーは多分、布団敷く途中で寝てるわ。ヨシハルくんがお風呂から戻るまでに、結構飲んでたから」

それも計画の内、なんだろ。

「俺に、何を言わせたいんだ」

真綿で首を絞めるようなやり方が気に入らない。

時間の無駄だ。

一瞬の沈黙の後、カリンが息を吸う音が聞こえた。


「あなたはユキじゃない。でもそんなことどうでもいいの。ユキだろうとヨシハルだろうと」

化粧無しでも、目力は衰えなかった。

「キョウにとってはね」

言っていることが分からない。

もしキョウの言うことが正しく、ユキとキョウが付き合っていたとすれば、どうでもいいことのはずがない。


「ユキとキョウは恋愛関係にあったのか?」

「…どうして?」

気怠げに聞く女は、いつの間にか新しい缶を開けている。

「キョウがそう言った」

「じゃあ聞く必要ないじゃない」

俯いたせいで表情は分からない。

「確認だ」

「付き合ってた」

「だったら」

「そんなこと、問題じゃないのよ。分からないかもしれないけど」

ゆっくりと、顔を隠していた髪を耳にかけ、俺と目を合わせた。


「あなたが同性愛者じゃないって言ったとき、良かったと思った。キョウは綺麗だし、何でもできるから、

きっとヨシハルくんもキョウを好きになると思ったから。同性愛者だったユキだって、好きになったんだもの。

でも、あなたはキョウを敬遠してる」

最後の一文しか理解できなかった。

そしてその一文はどちらかと言えば正しい気がした。


「だから…」

声が震え始め、俺は思わず身を引いた。

この状況で泣くのか。

やめろ。泣くならヨウヘイのところへ行け。

だが声以外に変化は現れず、震えも次の言葉を発した時には止まっていた。


「早くキョウを好きになって」

カリンは握っていた缶を一口で飲み干すと、ぬるい、と呟いた。

なんなんだ、一体。

「それだけ。おやすみ」

顔を伏せたまま、ほとんど聞き取れないほどの声でそう言っておもむろに立ち上がる。

傍に転がっていたビニル袋に空き缶を放り込み、ふらふらと玄関へ歩き出した。

「どこ行くんだ」

「コンビニに空き缶捨ててくる」


ビニル袋にはここに来る途中で見たコンビニのロゴがプリントしてあった。

わざわざ買いに行ったのか。俺が風呂に入ってる間に。

おそらく、この会話のために。

「俺が行く」

ビニル袋を奪うと、不服そうな顔をされた。

「時間考えろ」

「走れば一分もかからない距離よ」

家にアルコールの空き缶も置いておけない箱入りが何を言っているのか。

「ありがとな、泊めてくれて」

きっと本来なら、初対面の俺が泊まれるような場所じゃない。

靴紐を結びなおしながら、突っ立ているカリンに言うと後ろから頭を撫でられた。

「ユキは、前に泊まりに来たことがあるのよ。ママもお気に入りで、私の彼氏だと思い込んでた」

撫でるだけだった手が、髪を軽くかき混ぜてから離れた。

「鍵かけとけよ。でも寝るな」

振り返らずにドアをくぐった。

蒸し暑い夜道ではまとまった考えなど浮かんでこなかったが、多分俺は、明日帰る場所が思い出せたとし

ても、まだここにいるだろうと思った。





大型犬と散歩