「縋」
いつか、貴方様がその身を必要としなくなりましたら、貴方様の腕を頂けませんか?
この場限りの嘘で構いません。
どうか、頷いてください。
私はそれだけで、生きていけます。
必死で言った私に、貴方様は微苦笑を零され、長く綺麗なその指で私の髪を梳き、
「もし、万一、僕が先に死んだらね」
柔らかく、仰いました。
そして、私はいつも余計なことを考えすぎるのだと、
私などが直視するには畏れ多い廉潔な尊顔で私を諭されました。
その心地良い御声に陶然とし、ようやく落ち着いた私はただ、大変無礼なことを口にした己に青褪めました。
卑しい者の浅ましく愚かな戯言と、お忘れ下さい。
床に額を擦り付けた私を、貴方様はお許しになり、また苦笑されました。
この身が引き裂かれようとも、貴方様を守るのが私の非望。
それなのに、あんなことを口走るなど…。
けれど、本当に、卑しくも浅ましくも、貴方様の腕が欲しくて堪らないのです。
その手を抱いて眠りたいのです。
その指に頬を宛がい、掌に口付けをして眠りたいのです。
身分不相応な願いだと、承知しております。
それでも、どうか…。
嗚呼、また、私は、貴方様の優しさに付け入って、こんなにも欲深くなっています。
以前は、ただ、貴方様の御傍にいることが出来れば、それで良かったのに…。
奉公に出されたとは言え、私が身も心も捧げるのは、主人が貴方様だからです。
もし、他の方に仕えるよう命じられましたら、私は身の程知らずにも否むでしょう。
たとえ行き倒れることとなっても、覚悟はできております。
愚かな小娘です。
自嘲などと言う生意気なことまで、出来るようになりました。
それでも、私の生涯の主は、貴方様だけでございます。
優しい貴方様が、決して傷付かぬように、悲しまぬように、御心と御身を守るためだけに生き、死にたいと望みます。
それなのに、それなのに、如何して私はこんなにも貪欲になるのでしょうか。
ただ、貴方様の願いを叶え、望みを果たし、他に何も想わない人形のようにはなれないのでしょうか。
貴方様の目に映りたいと、貴方様の手に触れたいと、貴方様に優しい言葉をかけて頂きたいなどと、おこがましいにも程があります。
そうしてまた、私は貴方様を困らせるばかりなのです。
如何すれば喜んで頂けるのか、考えても考えても何も浮かばず、
学の無い私は、高貴な方々のように気の利いた言葉一つ言うことも出来ず、
このような私を、如何して御傍に置いて下さるのか、その所以も皆目解らないのです。
ただいつか、貴方様の身が危険に晒されたとき、この身が貴方様を守る楯となれれば、これ以上の幸せはございません。
そう、心の中で繰り返し、浅ましい欲を噛み砕き。
障子の向こうで貴方様が寝返りを打つ音に耳を傾けつつ、今宵も、青い月光の下で微睡むのです。
「過」