「翠」 ―幼心―
特別怖いものなんて無かった。
すべてが怖かった。
空にも意思があると思ってた。
水も死ぬと思ってた。
風も恋すると信じてた。
石も痛がると信じてた。
傷つくのが怖かった。
傷つけるのも怖かった。
泣けば許されると歌ってた。
祈れば迎えが来ると叫んでた。
ずっと違うと感じてた。
ずっと痛かった。
生き物が持つ強制的な欲が怖かった。
お腹が空くことに恐怖した。
抗えない睡魔に怯えた。
身体は器だと言い聞かせた。
コントロール出来ない欲が怖かった。
みんな笑い飛ばした。
金の心配をしなくていい子供の発想だと怒られた。
だからどうしたと呆れられた。
仕方ないのよと諭された。
頭がオカシイといじめられた。
死んだあとの世界を信じてた。
此の世だけがすべてじゃないと思ってた。
死体は此の世に残るから逝くのは心だけだと知っていた。
死ぬ前に器に負けない心が欲しかった。
生き方より死に方を考えてた。
喋るのが嫌いだった。
誰かに影響を与えるのが嫌だった。
私を知られるのも嫌だった。
歌うのは好きだった。
心が一杯になって少し深くなる気がした。
消える音が心地良かった。
息を吸うと空気が肺に入るのを感じた。
「いらっしゃい」
直後に出て行くのも感じた。
「さようなら」
何度も繰り返した。
身体を駆け巡る空気は決して私と同一ではなかった。
心と身体は別のものだと思ってた。
重くて苦しくて言うことを聞かない身体が憎かった。
悲しくても笑ってくれる身体に守られてた。
綺麗なものだけ見ていたかった。
汚くても綺麗でありたかった。
何も言いたくなかった。
何も聞きたくなかった。
真実なんて知らなかった。
新しいことなんて知りたくなかった。
磨耗するのが嫌だった。
慣れるのも嫌だった。
子供で良かった。
子供が良かった。